台湾訪問記 | 衆議院議員 森 英介

台湾訪問記

衆議院議員 森 英介

 私は、八月十八日から二十日まで、二泊三日の短い旅程ではあったが、台湾を訪問してきた。メンバーは、亀井久興代議士を団長とするいずれも自由民主党の宏池会(宮沢派)に所属する総勢七名の衆議院議員である。亜東関係協会の招きによるものであり、日本から、許水徳駐日代表(駐日大使に相当)が私達に同行してくれた。私にとっては、ちょうど一年前の最初の訪問に続いて、二回目の台湾であった。
 許水徳氏は、高雄市長、次いで、台北市長(台湾では、台北および高雄の二つの市が直轄市で両市の市長は総統によって任命される。台湾省と並んで三つの同格の行政区となっている。
すなわち、台北・高雄、は日本で言えば、政令指定都市にほぼ相当する。)、更に、内政部長(国務大臣)などの要職を歴任された後、昨年六月に駐日代表として東京に着任された。
台湾では大変に人望があり、また、東京教育大学の出身ということもあって日本語も堪能で、日本に対し深い理解をもっている人物である。その大物駐日代表が着任以来始めて態々日本から付き添ってきたということもあるのだろう、台湾側では、実に行き届いた、中身の濃い受け入れをしてくれた。当初の予定通り、カク柏村行政院長(総理)、錢復外交部長(外務大臣)劉松藩立法院長(国会議長)らとの会見がそれぞれ行われた。その上、最終日には、急遽、李登輝総統(大統領)との会見まで加えられた。いずれの会見も儀礼的なものではなく、一時間余りに亙って率直な意見交換がなされた。
 これらの要人の中で、誠に失礼ながら、一番凡庸な印象を受けたのが、カク行政院長である。
お会いした他の方々は、一様に、冒頭の歓迎の挨拶で、宮沢政権下での先の参議院議員選挙における自民党の好結果に祝意を表してくれた。カク院長だけは、そこら辺の事情を殆どご存知ないようあり、日本側からいろいろ説明を聞いてから、最後に、いゃあ、日本の参議院で与野党が逆転しているなんて知らなかったのでびっくりしました、というような感想を述べられので、こちらの方がびっくりしてしまった。ところが後で、私の親しい台湾の知人に、このようなカク院長についての私の印象を話したら、中国では「大智若愚」(優れた頭脳の持ち主は馬鹿のように見える)という言葉があり、カク院長はまさにそういうタイプの人である。奥行きの深い、非常に老獪な人物であり、知っていることでも平気で知らないような顔ができ。もし日本にの議員団に、凡庸で、人のよさそうな印象を与えたとしたなら、彼の狙いが功を奏したののだという話を聞いて二度びっくりをしてしまった。やはり、中国は大人の国である。
 カク行政院長と対照的見るからにシャープで、私どもに対し誰よりも厳しい姿勢を示したのは、錢外交部長である。錢部長は、アメリカ留学組で、法学博士号をもつインテリである。
実は、私は、昨年訪台した折りにも銭部長にお会いした。この時も、やはり亜東関係協会の招きで私の顧問格の二人に友人と台北を訪れたのであるが、文字通り表敬訪問のつもりであまり心の準備もなく銭部長にお会いしたところ、日本政府は何故そんなに大陸に気兼ねするのか、と真っ向から問い詰められ、返答に窮した記憶がある。李総統が日本を訪問したいという申し入れを台湾から日本にしているにもかかわらず、日本政府がそれを受けいれないため、両者の関係がギクシャクしているさなかであった。今回も冒頭から、天皇の訪中が検討されているという話を伝え聞いているが、これには中華民国は相当ショックを受けた、という直裁な発言があった。6/4事件(天安門事件)以降、まだどの国の元首も中共を訪れていないではないか、と彼は言う。日本がそのようなことを企てるのは、北方領土の問題と国連の安全保障理事国の問題があるからだろうと。これに対し、私共を代表して亀井団長から、我が国としては、何が中華人民共和国の民主化、自由化の手助けになるかを基本に対処すべきだ。と考えている旨の見解が述べられた。また、麻生太郎代議士からは、これまで国交の曖昧な国と皇室外交がなされたことはないし。自分としては、基本的には天皇のご訪中に反対である、言う意見が開陳された。しかし、同代議士も、中国が民主化に失敗し、経済改革に失敗するようなことになれば、我が国に大挙して難民が押し寄せることは必定であり、これは、我が国の国益に全く反することなので、そのような事態に立ち至らないように中国をソフト・ランディングさせるための手助けという意味合いなら理解できないこともない、と言い添えた。この他、アジア・サミット構想も話題となったが、錢部長より、具体化すれば、台湾も是非メンバーとして参加したいので、日本の支援、協力をよろしくお願いしたいという要請があった。
 さて、図らずもお目にかかることができた李登輝総統であるが、誠に合理的で懐の広い、スケールの大きい人物のようにお見受けした。京都帝国大学農学部出身の総統は、私たちに殆ど通訳を通さず、日本語で語りかけられた。まず、大陸との間の武力抗争が法律化してしまってる現状はどうも具合が悪い、そこで、二年前に国家統一委員会を設置し、憲法修正の作業を進めているという説明があった。憲法修正に当たっては、国家が対立する前の台湾を基本とするよいう考え方が示された。更に、総統が一度ならず強調されたことは、二つの対等な(平等に非ず)政治実態が依然として存在しているということを中共に自然承認させなければならない。ということであった。また、日本にとってアメリカとのパートナーシップはきわめて重要であるが、同時に、アジアとの関係も重要である。その中で、日本と台湾とは、政治は芝居だから表向きはいろいろなことがあるにしても、本質においては兄弟の関係であるということも言われた。
 なお、私が一番印象的だったのは、天皇訪中問題についての総統の言葉である。李総統曰く、蒋介石総統の決断によって、台湾と日本との間には戦争にまつわる問題は一切残っていない。
しかし、大陸との間ではそのような形になっていないので、いわば中共に尻尾を握られているようなもので、日本も何かにつけて苦労が多いことだろう。天皇訪中が過去の経緯に区切りをつける一つの契機となるなら、それも一つの方法かも知れない。というような発言があった。この日はちょうど、中国と韓国とが国交正常化の方向に向かうようだという衝撃的な報道がなされた翌日でもあった。しかい、四面楚歌となるかもしれぬ難しい情勢のなかで弱気になって、あるいは、虚勢を張ってこのような言葉がでたのではなく、各国と中国との間柄がよくなって、中国大陸が安定し、発展すれば、ひいては、台湾にも良い影響がもたらされる、というきわめて理性的な、大局的な見通しに立っての所感のように受け取れた。これには、私は、深い感銘を受けた。
 台湾は、活気に充ち、人々の顔も明るい。私は、まだ二度目なので何とも言えないが、度々台湾を訪れている同行の先輩議員によれば、年々着実に発展しているということである。
面積は我が国の十分の一、人口は六分の一でありながら、いまや外貨保有高は八百億弗に達し、世界一というのだがら大したものである。とはいえ、大陸との関係を別にしても、台湾の政治経済の現状に問題がない訳ではない。景気の先行きに懸念を示す経済人もいた。また、蒋経国時代には国土建設が著しく進展したにも拘らず、国民にはあまりシワ寄せが来なかったが、現在は、税負担が重く、国民生活や企業活動が圧迫されているという声も聞いた。
政治システムについていうと、日本ではよく官僚主導型政治の弊害が指摘されるが、台湾の場合は、それどころでなく、官僚支配型政治といっても良いような状況である。部長(大臣)ならびに次長(政務次官)は、行政院長の任命で官僚から選ればれるのが通例で、立法委員(国会議員)は、行政院長はもちろん、部長や次長になることもない。台湾では、最も優秀な人材が官僚になっているそうであるから、このようなシステムが問題はないのかもしれないが、立法院の性格、役割が一つはっきりしていないような気がする。そのせいか、最古参(六期目)の立法委員である劉立法院長はじめ多くの立法委員にお会いしたが、官僚のトップに比べて何となく精彩に欠けるような印象を受けた。余計なお世話かもしれないが、真の民主化を達成するには、官僚支配からの脱皮も検討の余地があるように感じた。
 ところで、余談にになるが、蒋経国の方が評価が高まっているようである。晩年、蒋経国が積極的に民主化および開放政策を推し進め、その結果として今日の台湾があるというのがその主な理由と思われる。また、蒋経国については、一つ非常に興味深い話を聞いた。蒋経国という人は私財が殆どなく、その白系ロシア人の夫人は主人が亡くなった後、住む家にさえ困ったということである。ついでながらら、いまの李総統も清貧の人だそうである。
私は、独裁的な国家指導者というのは、多かれ少なかれ私腹を肥やしているものだという先入観があったので、これには、本当に驚いた。
 日本と台湾とには、多くの共通点がある。いずれも面積が狭く、周囲を海に囲まれている。
アジアに位置し、自由主義経済体制をとっている。日本語をを解する人が多い(日本では全ての人が解するが、これは当たりまえ)。従って、李登輝総統の言うように、表面的な動きがどうなろうとも、日本と台湾とは兄弟のような関係にあると思う。いま世界の国々の中で日本と台湾とは、最も良い状況にある二つの国だろう。それは、先に述べた両国の共通点が大いに寄与していると考えるものである。台湾が、今後も、そこに住む人々の多くが心の底で希望しているような方向で、この世界の中で光彩を放ちながら存続していくことを心から念願して、報告を終わらせていただく。


(房総及び房総人 1992年11月)より