外房の仙人 | 衆議院議員 森 英介

外房の仙人

衆議院議員 森 英介

 私は、30代のはじめに突如思い立って、一人乗りの一枚帆のヨット――ヨット乗りは、ヨットではなく、ディンギと呼ぶ――を始めた。当時、私は、神戸の造船所に勤めており、芦屋に住んでいた。家から、香枦園の浜まで、車でひとっ走りであった。ポート・アイランドが遠望されるこの人工的な入江は、甲子園の浜と並んで、当時、阪神間のウィンド・サーフィンとディンギのメッカとなっていた。色とりどりの無数の帆が海上をみずすましのように行き交っている。会社が休みの日は、殆ど、午前中から黄昏れ時まで、この浜で過した。私ども夫婦には、まだ子供がいなかったので、しばしば、妻も一緒に浜に行って、交代でヨットを楽しんだものである。だが、日がな一日、限られた水域で、飽くことなくヨットに興じる私のマニアックな感覚に彼女は付いて来られず、半年もすると、ヨット・ウィドウ(寡婦)となる方を選ぶようになった。

 秋から冬にかけて、寒い季節が到来すると、若者たちは、ウィンター・スポーツの方に流れて行ってしまうのだろう、浜には、切換えの利かない30代、40代の中年サーファー、中年ヨットマンが取り残された。ウェットスーツを着用していても、身体は冷え込み、シート(ロープ)を操る手はかじかむ。耐えられなくなると陸に上がり、焚き火で暖をとり、ワンカップをぐい飲みして、また海の上に戻った。時としては、香枦園の浜を離れ、車の屋根の上に、艇を積んで、琵琶湖や伊勢・志摩、あるいは、山中湖などに遠征したこともあった。私の人生で最も楽しい一時期であった。しかし、いつまでも幸せは続かない。そうこうする内に、土日を返上して仕事をしなければならないような状況になってしまって、止むなくヨット遊びから足を洗うことになった。

 些か前置きが長くなったが、このようにある期間、私は、取り憑かれたようにヨットで遊んでいた。そして、突然、止めた。それから、数ヶ月ほど経った頃のことである。私は、生れて初めてギックリ腰になった。
別に重いものを持った訳ではない。朝、工場の更衣室で、立ったまま、通勤時の靴下から軍足(軍手と同じ材質の作業用靴下)に履き替えようとしたときに、ギクッと来た。動くこともままならず、激痛に耐えかねて、その日は、早退させてもらった。その時は、町の整形外科に転がり込んで、ビタミン注射か何か打ってもらって、家で安静にしていたら、割合早く回復したように記憶している。33、4歳の頃の出来事であった。ヨットはかなり激しい運動である。一時、その激しい運動に熱中して、それをパタリと止めた。その後、運動らしい運動は一切していない。
結果として、腰まわりの潤滑が悪くなってしまったのに相違ない。

 爾来、毎年一、二回は、必ずと言って良いほど、ギックリ腰になるようになってしまった。初めの内は、その折々に、医者やら評判の民間療法などを頼って、治療してもらうと、存外簡単にケロリと治ってしまったものである。ところが、年を追う毎に、また、回数を重ねる毎に、次第に症状がしつこくなり、治りにくくなってきた。そして、最悪の状態になったのが、40歳になるかならないかのときのことである。何とも間の悪いことに、一大決心をして会社を退職し、房総半島に帰り、選挙運動を始めた直後のことであった。立ったり坐ったり、また、自動車の乗り降りにも支障を来すほど具合が悪い。身体が腰のところで曲っているのが自分でも判る。それでも、歩けないことはない。痛みをこらえながら、戸別訪問を続けた。痛みを紛らわすために、車の中にウィスキーの小ビンをのせておいて、昼間から煽っていた時期もある。挨拶廻りをしている時や後援会の人たちに対しては、痛みを押し隠して、ニコニコ笑顔で接しているが、車に戻ると、運転手に八つ当りをする。まるでサンドバッグのようなものである。年下の雇い主のこういう理不尽な態度にも拘らず、逃げ出しもせず、黙々と何十万キロもひた走ってくれた彼には、今以て、心苦しさと感謝の念に堪えない。

 勿論、苦痛に身を任せて、手をこまねいていた訳ではない。選挙運動の合間を見て、これと思われるところは、ことごとく訪ね歩いてみた。
東京都内の定評ある整形外科医はもとより、整体、カイロプラクティック、中国式の鍼、お相撲さんが良くかかるという日本式の鍼、灸、気功、等々。しかし、どの療法を試してみても、一向にはかばかしくない。「若さでぶつかります!」などとポスターに刷り込んで、キャンペーンを展開しているのに、実態がこれでは気勢も上がらない。こんな体調で、果して、最後まで選挙運動を戦い抜くことが出来るであろうか。そんな不安に襲われることさえあった。

 このように、文字通り悪戦苦闘の真っ最中、故郷の町で開いた大集会の後で、古くからの後援者であるTさんに声をかけられた。Tさんは、私が腰の具合の悪いのを見てとって、もし、自分を信用するなら、という条件付きで、良い人を紹介してくれると言う。溺れるものは藁をもすがると言ったら失礼だが、私は、迷うことなくTさんの話に乗った。その足で早速案内されたのは、近隣のとある町の片隅にひっそりと佇む、いまどきでは珍しいアバラ家である。聞けば、大正のはじめに建てられた建物だという。薄暗い家の中には、顔つきは柔和だが、眼の奥に炯炯とした光を湛えた、枯木のようなおじいさんが一人いた。床の上に坐って、両足を伸ばすと、その長さを見比べるだけで、おおよその症状が判ってしまうらしい。治療法は、膝を背中に当てがい、両手を肩に添えて、膝を支点にククッと反動を効かせた動作を加えるだけである。背骨に沿って、順繰りにこの操作を加えて行き、背骨の調整をする。痛くも痒くもない。本当に、これで治るのだろうか、と半信半疑であった。

 それでも、当面、このおじいさんに賭けてみることにした。言われた通り、数日おきにそのアバラ家に通った。そうしたところが、3回目か4回目の治療を終えた後、ちょっとした変化があった。と言っても、良くなったのではない。却って、痛みがひどくなったのである。しかし、予め、Tさんから、治る時には、その前に、一旦痛みが増すことがあると聞いていた。そこで、ことによったら、快方に向う前兆かもしれぬと、ほのかな期待を抱いた。そして、一晩寝て、翌朝、目が覚めると、何と、明らかに状態が良くなっているではないか。期待していながら矛盾した話だが、信じ難いことであった。立ち上ってみると、これまで、腰のところで歪んでいた身体が、ほぼ真っ直ぐになっている。何ヶ月ぶりのことであった。勿論、まだ完全という訳ではない。それでも、前途に、明るい希望が見えてきた。

 ところが、喜んだのも束の間、事態はまた暗転した。その日、ある町で、何か公式行事があった。私も、来賓として招かれ、壇上で挨拶をした。その後、引下がるときに、誤って、壇を踏み外してしまったのである。段差は、わずか20センチほどであった。しかし、およそ不用意に踏み外したので、その途端に、もんどりうって、倒れ込んでしまった。
幸い、どこも怪我はなかった。だが、その拍子に、折角、治りかけたと思った腰が全く元の状態に戻ってしまったのである。文字通り、元の木阿弥、である。意気消沈した。

 また、一から出直しだ。気を取り直して、仙人――アバラ家の住人をいつしか私はそう呼ぶようになっていた――を訪ね、事情を説明すると、仙人は、そりゃ、災難だったね、と笑うばかりで、一向に意に介する様子もない。淡々と、いつもと同じ治療を施してくれた。そして、再び、3、4回、通ったら、またしても、前の時と同じように、確かに好転の兆しが見られた。それから、何回かの治療で、さしもの厄介な腰痛も、完治してしまったのである。以後、私は、体調に何の不安もなく、元気一杯、選挙運動に取組むことができた。その結果、初当選することが出来たのだから、言うなれば、外房の仙人は、私の恩人である。なお、申し添えると、それから10年余りが経過したが、持病になったと思っていたギックリ腰は、その後、一度も再発しない。

 仙人が、どのようにして、このようなワザを編出し、体得するに至ったか、詳細は不明である。本人の言によれば、海軍衛生学校の出身で、衛生兵だったということである。その時期に、体験的に人体構造についての豊富な知識を修得したものと思われる。加えて、元来、空手の達人であり、また、類い稀な「勘」と「器用さ」の持ち主のようでもある。
驚いたことに、自分の身体中の関節を自ら外したり、はめたり出来るという。自分の身体を思うままに扱えなければ、他人の身体なんて治せやしませんよ、これが仙人の口癖である。仙人の特異な治療法は、こうした経歴や資質、能力に基いて、全く独自に編出された稀有なワザと推察される。

 後日談であるが、その後も、私は、身体の調整とメインテナンスの為に、時折、仙人のもとを訪れていた。何年か経ったある時、仙人は、突然、異なことを言い出した。最近、ふとしたことで、霊能力が身についてしまったというのである。世の中の森羅万象の本質が、皆、見通せるようになってしまった。また、あの世へ逝ってしまった人との交流が出来るようになってしまった、という。私は、霊能力者に頼ろうという気持は、これっぽっちも、ない。しかし、この世に、人智を超えた能力を具備した人が存在するということを否定するものではない。とくに、この仙人の場合、損得勘定を抜きにして、私をはじめ多くの人々の身体の不具合を矯正し、苦痛から解放してきた。つまり、計り知れないほどの功徳を施してきた。従って、その結果として、霊能力が身についてしまったというのも、あながち、ありえないことではないような気がする。

 さて、そこまでは良いのであるが、ここで、一つ困ったことが起った。
仙人は、どういう訳か、この至らない私に、過分の好意を持ってくれている。そして、その霊能力を以ってして、私に法力をかけてくれたというのである。私に、敵意を持ったり、足を引っ張ろうとする人がいたら、その人は、死んでしまうという。有難いと言えば有難い話である。しかし、これを聞いたときに、真っ先に頭に浮んだのは、何はともあれ、このことを早く妻に知らせてやらなければならないということである。一目散に家に帰り、妻に言ったものである。おいおい、もうこれから、僕に敵意を持ったり、間違っても、トリカブトを盛ろうなどと考えない方が良いよ、と。


房総及房総人2000年六月号