無事祝い乾杯 | 衆議院議員 森 英介

無事祝い乾杯

森 英介

 私が甲南高校の社会科教師である南里章二さんと出会ったのは20年近く前、阪急芦屋川駅前のウエスタン音楽の酒場「ザ・ウエスト」だ。昭和23年生まれの同年ということもあって、この店でしばしば酒を酌み交わし、共に語らい、カントリーソングを歌ったものだ。
 彼はヨーデルの名手であるばかりでなく、冒険家でもある。甲南山岳会の隊長としてキシュトワル・ヒマヤラという世界屈指の高峰に登ったかと思えば、アマゾン川を小舟で下ったり、アフリカ大陸をさまざまな経路で踏破するなど輝かしい冒険歴を持つ。自ら撮影した世界各地の写真スライドを教材に授業するなど、型破りのスタイルで生徒にも抜群の人気を誇っている。
 鍛えあげられた男ならではの本当の強さと優しさをを持った彼は、まさにハード・ボイルドのフレーズを地でいく男である。こっちも負けるものかと突っ張ってはみるが、最後はやっぱり「こいつにはかなわないなあ」と思う。
 阪神大震災発生から間もない先月二十七日。私は労働省の出先機関の職員激励のため神戸に赴いた。昭和四十九年に大学を出て、川崎重工業に入社し神戸工場に配属されて以来、東京に転勤になるまで十一年間を過ごした思い出深い土地で、妻の故郷でもある。視察を終えた昼過ぎ。一言お見舞いの気持ちを伝えたくて、三宮で自転車を調達し、親戚の家や南里家がある芦屋方面へとひた走った。
 懐かしい街並みの変わり果てた姿には、胸のふさがる思いであった。がれきの山を避けながら、南里家にたどり着いた時は日もとっぷり暮れ、時計は七時半を回っていた。幸いにも彼のマンションは倒壊は免れていた。突然の訪問者を彼は、いつもと変わらぬさわやかな笑顔で迎えてくれた。水もガスもまだ通ってない不自由な生活を強いられているにもかかわらず、「めったに会えないんだから泊まっていけ」としきりに勧めてくれる。
 しかし、慰問に来て貴重な水や食料を消費する口数を増やしてしまっては申し訳ない。南里家を訪ねる途中、半ば廃墟と化した住宅地の中にポツンと生き残った自動販売機で買った缶ビールでささやかに再会を祝した後、私は後ろ髪をひかれる思いで、南里家を後にした。(もり・えいすけ=労働政務次官)













日本経済新聞 1995年2月24日 より