栄光のエリート号と哀れなおかま牛 | 衆議院議員 森 英介

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栄光のエリート号と哀れなおかま牛

千葉県畜産会長 森 英介

 我が千葉県は、北海道を除けば、牛乳の生産量に関しては、全国でも一、二の座を争っている。このように千葉県が酪農大県となったのは、何と言っても、県内の酪農家の並々ならぬ努力の賜物であるが、その蔭に、県当局の酪農振興に向けての積極的な取組みや適切な指導があったことも見逃せない。県の主導で行われてきた乳牛の品種改良は、全国に冠たる成果を挙げている。お花畑で有名な南房総は安房郡丸山町に、県営の嶺岡乳牛試験場がある。この試験場こそ、千葉県における乳牛の品種改良の重要拠点である。

 嶺岡乳牛試験場を訪れると、管理棟の前に、「日本酪農発祥之地記念碑」と並んで、「エー・アレンデーリー・エリート号碑」という石碑が建っている。エー・アレンデーリー・エリート号(以下、エリート号と略す。)というのは、昭和45年米国生れの雄牛で、生後2年目にして、太平洋を越えてこの試験場に連れて来られ、雌牛の牛乳生産能力の向上に大きく貢献した名種牛である。エリート号が雌牛に生ませた子供の数は、3万7千頭にも達する。世界広しといえども、石碑が建立され、その功績が顕彰された牛というのは、あまりいないのではないだろうか。

 言うまでもなく、エリート号は、自然交配によって、つまり、実際に雌牛とエッチをして、これだけの子供を作った訳ではない。すべて人工授精によるものである。乳牛の増殖方法は、明治時代から昭和20年代前半までは、自然交配によるのが一般的であった。戦後、人工授精技術が導入された。そして、昭和40年代になって、凍結精液が実用化され、精液の半永久的な保存が可能になってから、品種改良のスピードは、急速に早まった。昭和40年には、年間1頭当りの牛乳生産量は、全県下平均で4千3百キログラムだったのが、現在では、7千2百キログラムと倍近くに増加している。しかも、濃度は、薄まっていない。

 いささか前置きが長くなったが、このように人工授精によって乳牛を増殖するには、当然のことながら、それに先立って、雄牛から精液を採取しなければならない。精液を採取するに当っては、雌牛を擬した跳び箱のような台(専門用語では、"擬牝台ギヒンダイ"という)が使われる。この台の背中部分には、雌牛のなめし革を張ったりして、雄牛が雌牛に乗っかっていると錯覚できるような趣向が凝らされている。更に、念を入れて、その背中部分に、雌牛の尿あるいは発情粘液(人間で言えば、バルトリン氏腺液、俗に、愛液などと呼称されるものか)を塗っておくと、なおよろしいようである。

 さて、60センチメートルはあろうかというペニスを屹立させた牛が擬牝台にまたがると、この擬牝台の脇には、人工膣と言われる筒状のものを携えた人が待ち構えていて、すかさず牛のペニスに人工膣をはめ込む。こうした状態で射精させる訳であるが、その際、人の手で人工膣を前後に往復運動させてやるのだろうと考えるのが普通ではないだろうか。
少なくとも私は、当初、そう思った。ところが、実際は、そうではない。人工膣の内側には、ゴムが内張りしてあって、筒とゴムの内張りとの間にお湯を注入できるような仕組みになっている。ペニスに人工膣をはめ込んだ状態で、その部分にお湯を注入してやると、その圧迫感とぬくもりで心地良く(?)感じて、たちどころに牛は射精する。古来、「牛の一突き」と言われるように、牛の交合に際しては、雄牛は雌牛を一突きするやいなや、射精してしまう。きわめて合目的的で、前戯だとかピストン運動だとかまどろっこしいことは必要としない。なお、牛の一回当りの射精量は、3c.c.から10c.c.、平均すると、6c.c.程度である。図体の大きさ、ペニスのサイズからすると、案外少ないなという印象である。人とさほど変らない。因みに、豚は、平均250c.c.。牛乳瓶一本より多い量の精液が一回に放出される。

 このようにして雄牛から採取した精液を希釈して大幅に増量し、小口分けにして、人工授精に供することになる。雌牛が受精するのに必要な精子数は、3千万匹程度である。雄牛の精液1c.c.の中には、およそ10億匹の精子が含まれている。従って、一回の射精で採取される精液で、ざっと2百回分の人工受精が出来ることになる。やや下世話な話になるが、嶺岡乳牛試験場では、一般酪農家の牛に対して、一受胎当り7千円で人工授精を行っている。ということは、3万7千頭の子供がいるエリート号は、身一つで、少なめに見積っても、2億円以上稼ぎ出したことになる。すなわち、エリート号は、単に雌牛の牛乳生産能力の向上に寄与したばかりでなく、千葉県財政にも大きく貢献したことになる。

 ところで、さしもの精力的な種牛も、齢を重ねるにつれ、擬牝台では、その気になれなくなってくる。そうなってしまった雄牛については、擬牝台の代りに去勢された雄牛があてがわれる。擬牝台にまたがらなくなってしまった雄牛も、おかま牛を相手にすると発情して、その上にのしかかる。そこで、擬牝台の場合と同じ要領で、人工膣を用いて精液を採取する。しかし、考えてみれば、雌牛代りに使われる台のそのまた代りに使われるおかま牛というのも、何とも物哀しい存在ではないか。

 ついでながら、雄牛がさらに高齢化してくると、後脚力が弱ってきて、擬牝台にもおかま牛にもまたがれなくなってくる。その上、勃起力も弱まってくる。そういうおいぼれ種牛に対しては、電気的な刺激を与えて無理矢理射精させてしまう方法がとられる場合もある。ここまでくると、いかに石碑を以ってその功労を顕彰されようとも、優秀な種牛というのも、なかなかしんどいものだという気がする。

 そもそも、種牛になることを運命づけられた雄牛は、終生、雌牛と交合する機会を奪われる。この世に生を受けて、射精できる月齢に達すると、若いうちから、雌牛代りの擬牝台に乗っかって、人工膣で射精するように訓練される。一度でも雌牛の味を知ってしまった雄牛は、野暮な擬牝台にまたがって、人工膣で射精するというような代替行為はしなくなってしまう。従って、彼のエリート号も、本物の雌牛との交合は未体験のまま、生涯を終えた。


「文藝春秋 2001年5月号」より