伊能ウォークにまつわる自慢と悔恨 | 衆議院議員 森 英介

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伊能ウォークにまつわる自慢と悔恨

衆議院議員 森 英介

 1996年9月9日の夜、私は、赤坂の「二代目」というお好焼屋に足を運んだ。畏友・佐藤嘉尚さんから、お呼びがかかったのである。どういう趣旨の集まりかも良く判らないまま、のこのこ出かけて行ったところ、そこには、佐藤さん、旧知の建設省のお役人、伊藤英昌さんのほか、見知らぬ二人の人物がいた。国土地理院院長の野々村邦夫さんならびに俳優座社長の古賀伸雄さんであった。今にして思えば、この夜の集まりこそ、20世紀終盤を飾った未曾有のビッグ・イベント「伊能ウォーク」の記念すべき第一回発起人会合だったのである。すなわち、何を隠そう、この私は、「伊能ウォーク」の当初からの仕掛人、五人のメンバーの一人なのである。(自慢!)

 本当の言い出しっペは、その集まりの招集者にして、稀代の企画・編集者である佐藤嘉尚さんである。彼の曰く。我が国では、高齢化社会の到来と共に、多くの人が、好むと好まざるとに関らず、第二の人生を歩まなければならなくなった。そういう人々の希望の星と言えば、伊能忠敬である。忠敬先生は、五十歳のときに、千葉県佐原における庄屋の家督をすっぱりと後継ぎに譲り、それから江戸に出て測量術を学び、第二の人生で、あれだけの偉業を成し遂げた。
一度ならず恋もした。忠敬先生の人生を見れば、我々のような中年男も、元気が出て来る。何となく暗い世相のこの世紀末、日本中に伊能忠敬ブームを巻き起こして、皆で元気を出そうではないか、と。
ついては、その目玉として、伊能忠敬が日本全国測量行脚した足跡を辿って歩くイベントをとり行おうというのが佐藤さんの提案であった。卓抜な着想に、一同、強い感銘を受け、大いに盛上った。それは、面白い。是非、実現しようではないか。異様な昂揚感に包まれた第一回発起人会合だった。なお、私がその席に呼ばれた所以は、私がもともと佐藤さんの仲間であるということに加え、伊能忠敬生誕の地、九十九里町が私の選挙区だということもあったのだと思う。

 しかし、一口に、忠敬の足跡を辿ると言っても、彼は、五十五歳から全国を廻り始め,十七年間で、延べ約四万キロメートルを踏破している。その四分の一を目標とするにしても、ひたすら歩くだけで二年間かかる。これほど、荒唐無稽にして、酔狂なイベントというのは、あまり無いだろう。正直なところ、私には、到底、実現可能な構想とは、思われなかった。

 そうこうするうち、佐藤さんの熱意と趣旨に共鳴して、日本ウォーキング協会専務理事の木谷道宣さんや厚生省の辻哲夫さん、文部省の寺脇研さんらが発起人メンバーに参加してくれた。この伊能ウォークの仕掛人仲間に共通していることは、言うなれば、ロマンチストで意気に感じるタイプ、一面、どことなくオッチョコチョイということだろうか(失礼!)。それはさて、賛同者の顔ぶれが充実強化されてくると共に、次第に話が現実味を帯びてきて、遂には、朝日新聞の創立百周年記念事業の一環として採用されるに至った。私は、発起人の一人でありながら、伊能ウォークが実現すると聞いたときは、我が耳を疑った。

 その後、伊能ウォーク・サポーター・クラブが結成され、野々村さんが会長に就任された。二年間に亙る伊能ウォークが成功裡に終了するまでの野々村さんの献身的なご尽力には、ただただ頭が下がる。野々村さん無かりせば、伊能ウォークの計画は、途中で潰えていたにちがいない。不肖、私も、サポーター・クラブの会合、激励会など、比較的出席率の高い方だったと自負している。ただ、大きな声では言えないが、忙しさにかまけて、結局、一度も伊能ウォークそのものに参加せずに、終ってしまった。それだけが心残りである。


(房総及び房総人 H13.4)より